金子家忠と十郎清水

金子十郎家忠は、今からおよそ八百年もむかし、金子郷に生まれた人です。先祖は、平氏から出た、村山党から分れたもので、武蔵七党の一家として、源為義以来源氏につかえ、数々の戦いに戦功をたて、武蔵武士の勇名をとどろかせました。

金子台地と入間川にはさまれた、南と北にまたがる青梅から黒須にいたるまでの細長い集落を金子郷といい、これを支配しておりました。居城は木蓮寺の瑞泉院のそばにあり、弟の与一近範は金子坂を下ったところ仏子の天王山の南の広町というところに館をもち、ともに力を合わせて勢力を張っておりました。

ある日家忠は領内を見まわりのため、金子坂を下り、入間川の南岸に添って歩いておりました。ちょうど、夏の暑い日で、のどが、からからにかわいて水がほしくなりました。ところが牛沢まで歩いてまいりましたが、川添とは言え、飲み水の出るところがみつかりません。

家忠はこまっていましたが、やがて刀を抜いて河岸のがけの中腹を一とさし突きさしました。

すると、ふしぎ、そこから、きれいな清水が、こんこんとわき出ました。

家忠はじめ家来どももよろこんでのどをうるおし、まるで生きかえったような思いでした。

その清水はますます勢いよくほどばしり出し川の上の方へ逆流するほどでした。

人々は、これを、十郎清水と言い、また逆川ともいいました。

この清水は近くの人の飲み水に使われましたが、家忠が、かわききったのどをうるおしたというので、のどの病気にききめがあると信じられ、遠くからも、この水をもらいにきました。のどの病気だけでなく、眼を洗うと、眼の病気もなおるといわれたそうです。

十郎清水の場所は牛沢の関根工場の東裏のあたりだったといいますが、その後、くずれたり廃土でうずめられたりして、付近一帯の地形がすっかり変り、その場所がどこであったかも、さだかでなくなりました。しかし十郎清水の伝説はいまものこっています。

※イラストはイメージです。