三本足のからす

むかし、むかし、ある年の夏のことです。

幾日も、幾日も雨が降らず、暑い日がつづいたことがありました。

「ずいぶん、暑いですね。」

「こう暑くて雨がふらないと、畠の作物は、みんな枯れてしまいます。稲も、麦も、葉っぱがちょりちょりによれて赤くなり、まるで火がつきそうです。」

お百姓さんたちは、「こまった。こまった。」と、毎日空ばかり見あげていました。

でも、雨がふりそうなけはいはありませんでした。

すると、だれかが言いました。

「あ、お天とうさまが二つある・・・・・・・・・こんなに暑いのは、お天とうさまが二つもあるからだよ。」

「どうりで、あついと思った。」

「このまま、毎日てらされては、作物はおろか、人間まで死んでしまうよ。」

暑いので、病人があちらにも、こちらにもできました。

「なんとか、ならないかなあ。」

「これでは、みんな、ぜんめつだ。」

天子さまも、大そうご心配になり、「みんなを助けなければ」と、お考えになり、「誰か弓の名人をさがしてこい。」と、お命じになりました。

けらいが、四方八方さがしたすえ、ひとりの男をつれてきました。

この人は、空高く飛んでいる鳥でも、何百メートルも遠い木の枝になっている柿の実でも、たった一と矢で射おとすほどの名人です。

天子さまは、大そうおよろこびになり、この男に大きな弓と矢を賜わり、一つの太陽を射落とすようにと、お命じになりました。この男は、

「けっして ご心配なさいますな、かならず射おとしてごらんにいれます。」

といって、いさんで都を出発いたしました。

一つの太陽を追っかけて、とうとう武蔵の国までまいりました。

ここは小高いところで、太陽を射とめるには、もってこいの場所です。男は、弓に矢をつがえて、まっていました。

やがて、矢ごろもよしと、満月のように弓をひきしぼり、ひょうと一矢射はなしました。その矢は、あやまたず、太陽のまん中につきささりました。

すると、その時です。

一天にわかにかきくもり、あたりは まっ暗になりました。ものすごい いな光とともに、はげしい雷雨になりました。

あまりのおそろしさに人々は、目をとじ、耳をおさえて、ちぢみあがり、生きた心地もありませんでした。・・・・・・・・・

しばらくして、雨もやみ、きれいな青空になり、明るい太陽もさしはじめました。

かの、弓の名人は、やがて山の中から、獲物をさげて出てきました。みると、これはふしぎ、三本足のからすでした。

人々は「これはふつうのからすではない、まものだ、・・・・・・あの一つの、にせものの太陽は、この まもののしわざだよ。」と、いってさわいでいました。

ひと雨降ったので、草も木も、人も生きかえったようになりました。この弓の名人は、みんなから感謝されました。天子さまも、たいそうおよろこびになり、この男に「いるまのすくね。」という名まえを賜わり、たくさんのおほうびもくださいました。

そして、この土地を、「まもの」を射た、というので『いるま』(入間)といい、そこを「てんとう山」といっています。また、そこを流れる川をいるま川と、いうようになったのだといいます。

また、いるまのすくねが、武蔵へ、日を射ちに来たというのでこの東方には、日射(日東)という地名もあります。

※てんとう山は、今の狭山市中央公民館前の台地
※イラストはイメージです。